世の中に溢れるさまざまな職業の中で、音楽に関する仕事について取り上げるこのシリーズ企画。
今回は、バンドマンの聖地、東京・下北沢で22年続くライブハウス「BASEMENT BAR(ベースメントバー)」で店長として働きながら、自身もソロプロジェクト「ミートザホープス」でミュージシャンとして活動するクックヨシザワさんに話を伺いました。
−−−早速ですが、クックさんはベースメントバーの店長兼バンドマンということですが、最初に始めたのはもちろんバンド、ですよね?
そうです、バンドが最初です。中一くらいの時、ハイスタ(Hi-STANDARD)やブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)にハマって、中学でバンドを始めました。
−−−ライブハウスに足を運ぶようになったのはその頃から?
いえ、まだ小学生とか中学生くらいだと「ライブハウスに行く」って発想がなくて、テレビやビデオでアーティストのライブ映像やプロモーションビデオ見て興奮していましたね。高校生になって地元(川崎)のライブハウスに出演するようになり、20歳の時、初めてベースメントバーのステージに立ちました。
−−−ベースメントバーに出演したキッカケは?
その頃組んでいたバンドで、川崎を出て都内でも活動しようという話になった時に、メンバーの1人が「東京でやるなら絶対下北のベースメントバーに出たい!」と。ぼくはこれで初めてベースメントバーの名前を知りました。当時日曜日にオーディションライブやっていて、それに出演させてもらいました。
−−−ちなみに、どんなバンドだったんですか?
ジャンルでいうとロックンロールで、全員革ジャンというスタイルでした。いやあ懐かしい。(笑)ステージに立っていた時の記憶はあまりないんですけど、ベースメントバーでライブができるというのはとても誇らしかったです。
−−−ベースメントバーで働くことになったキッカケは?
20歳の時に始めたバンドの解散後、2008年にミートザホープスを始めてからもベースメントバーでイベントをやったり、系列のライブハウスにも出るようになったりと、バンドマンとしてベースメントバーとの関係が深まっていきました。そのうちにスタッフの飲み会にも呼ばれるようになり、上司から「うちで働かないか?」と声をかけてもらいました。でも、一度はその誘いを断ったんです。
−−−それは何故?
その時、自分はあくまでバンドマンでいたかったので、ライブハウス側の人間になることに抵抗があったんですよね。裏方に回ってしまったら、ステージ立つ人間としての大切な何かを失ってしまいそうな気がしました。
それで、ずっと下北のお好み焼き屋でバイトをしながらバンドをやっていましたが、バンドを始めて10年くらい経った頃、ベースメントバーでバイトで働こうと決意しました。
−−−どういった心境の変化があったんですか?
バンドマンとして活動の幅を広げていくことを考えた時に、他のバンドと横の繋がりを築いていくことがとても重要になるんですけど、それには毎日バンドマンが集まる場所、ライブハウスに身を置くことが一番だと思うようになったんです。
−−−「ライブハウス側の人間」になることに対しては、どのように考えましたか?
それに関しては、バンドマンとしてのプライドを維持することよりも、仕事をしながらベストな状態でバンドができる環境を作ることの方が大切だなと気付きまして。それなら音楽に携わる仕事の方が楽しいじゃないですか。
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