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OCT,2021
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ロマの文化から生まれたパリ発のジャズ、「マヌーシュジャズ」の魅力

マヌーシュ・ジャズとは

マヌーシュジャズとは、1930年代にフランス、パリで活動していたギタリストのジャンゴ・ラインハルトが始めたジャズ音楽です。

テクニカルな演奏と独特の演奏スタイルで瞬く間にパリっ子を虜にし、一世を風靡しました。以来、世界中に根強いファンを持ち続けています。同じジャンルを表す言葉として「ジプシー・ジャズ」や、「ジプシー・スウィング」などとも呼びますが、近年「ジプシー」という呼称が差別や偏見のイメージを与えるため、「マヌーシュ・ジャズ」や「マヌーシュ・スウィング」という名で呼ばれることが多くなってきました。

なお、「ジプシー」の人々については同じ理由で、特にヨーロッパでは「ロマ」という名称で呼ばれる事が多いので、本編では以降、「ロマ」と記していきたいと思います。

それでは、「マヌーシュ・ジャズ」の世界に踏み込んで行きましょう!

マヌーシュ・ジャズの歴史と魅力

マヌーシュ・ジャズの大きな魅力としては、なんといっても、そのどこか哀愁を帯びた音色やメロディーでしょう。

そして、ジャズの演奏にとって主力のピアノもドラムも無いということが特徴的です。ギターが奏でるシンプルなリズムパターンの中に、なぜかあたかもドラムがある様な4ビートを感じます。

この不思議な魅力の要因には、ロマの人々の生活スタイルが大きく関係しています。

ロマ音楽の歴史と特徴

ロマの起源は北インドが発祥と言われていますが、定かではありません。そこから、ヨーロッパ大陸を縦横無尽に分散して行きます。彼らは定住をせず、キャラバンと呼ばれる住居を兼ねた幌馬車で、国境も関係なく、常に移動生活を送っていました。長い移動生活の中で、ロマの人々は訪れた土地のそれぞれの文化を取り入れて行きました。その結果ロマの音楽も、インド音楽やアラビア音楽など様々な音楽のエッセンスが混じり、どこかエキゾチックでノスタルジック、そして人に訴えかける様な力強い印象を与える魅力的な音楽となりました。

ひとつ音楽的に不便だったのが(ロマの人々はちっとも不便とは思っていなかったと思いますが、笑)、キャラバンで、ピアノやドラムなどの大きな楽器が運べなかったということと、電気も使えないということです。ロマの人達は特に音楽好きで、毎日野営の地で焚き火を囲みながらセッションを楽しみましたが、その楽器の全てが、ギターやヴァイオリン、クラリネットなどの持ち運びに便利な比較的小型のアコースティック楽器に限られていました。

マヌーシュジャズの特徴

ギター2本、ベース(コントラバス)が基本スタイル。そこにヴァイオリンが加わることも多いです。
ギターはマカフェリギターなどと呼ばれる特徴的なギターが使われ、バッキングではポンプ(La pompe)と呼ばれる比較的シンプルなリズムを刻みます。ギターソロにおいては、哀愁をおびたメロディーラインと、超絶技巧やダイナミックな速弾きが特徴です。

マヌーシュジャズの始祖、ジャンゴ・ラインハルト

Django Reinhardt

(写真) ジャンゴ・ラインハルト(1910年1月23日 – 1953年5月16日)

ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)は1910年生まれのギタリスト。マヌーシュ・ジャズの生みの親です。

ベルギーで生まれましたが、ロマの生活スタイルにより定住はせず、キャラバンと呼ばれる住居を兼ねた幌馬車で国をまたぐ移動生活を送っていました。ジャンゴが18歳の時、キャラバンが火事に見舞われ、重度の火傷を負ってしまいます。幸い一命は取り留めましたが、ギタリストの命とも言える左手に障害が残ることになりました。しかしギターを弾くことを諦めず、演奏活動を続けます。当時世界中で流行していたビバップ・ジャズを独自のスタイルで演奏し、マヌーシュジャズというジャンルを生み出しました。左手の小指と薬指が使えないというハンディを感じさせない速弾きと超絶技巧が特徴的です。

かなり個性的な性格だった様で、コンサートの遅刻は当たり前でした。1946年には、デューク・エリントン楽団がコンサートでの共演のため、ジャンゴの組んでいた「フランス・ホット・クラブ五重奏団」をアメリカへ招聘したところ、なんとジャンゴは「自分一人にオファーが来た」と勘違いし、たった一人でアメリカへ行ってしまったことも。
また、人気と大金を手にしたジャンゴは意気揚々と派手な車を買い、それを見せびらかしにキャラバンのキャンプに乗り付け、そのまま木に激突して新車を大破させたり(笑)、、、、

かなり豪快な逸話のあるジャンゴですが、晩年はパリから少し離れた田舎に家を購入し、家族と共にセーヌ川で釣りを楽しむ静かな生活をしていました。いつもの様に朝釣りに出かけ、行きつけのカフェで仲間と談笑していた時、突然倒れます。そのままジャンゴは43歳の若さでその数奇な人生を閉じました。

現在も、ジャンゴが最後の時を過ごした家がそのまま残されています。行きつけだったセーヌ川沿いのカフェも、今は改装されてレストランとなっていますが、そのまま残っています。

その近くにはジャンゴが釣りをしていた小さな島の様な中洲があり、数年前までは毎年、彼の愛したその中洲で、フランス最大のジャンゴの音楽フェスティバルが行われていました。近年度々起こったセーヌ川の氾濫により、残念ながら会場をフォンテーヌ・ブローに移しましたが、現在も毎年行われており、世界中のマヌーシュ・ジャズファンが集まります。

ジャンゴの相棒、ステファン・グラッペリ

(写真)ステファン・グラッペリ(1908年1月26日 – 1997年12月1日)
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:StephaneGrappelli25.JPG
Photo by Roland Godefroy

ステファン・グラッペリ(Stéphane Grappelli)は1908年パリ生まれのジャズ・ヴァイオリニスト。

イタリア系の父とフランス人の母との間に生まれます。ステファンが4歳の時に母が他界。それ以来生活は厳しくなり、12歳頃から父に買ってもらったヴァイオリンを弾いて日銭を稼いでいた様です。ヴァイオリンは独学で始め、その後パリの音楽学校に通いますが、卒業してからしばらくはピアニストとして仕事をしていました。やがて、パリのライブハウスでジャンゴと出会う事になります。。。

1934年にジャンゴと共に「フランス・ホット・クラブ五重奏団」を結成して以来、大ヒット。ジャンゴの相方として精力的に演奏活動を行います。第二次世界大戦の中、ステファンはパリの戦火を逃れてイギリスに移り住みます。一方ジャンゴはパリに残ったため、2人は離れ離れになりました。「マヌーシュ・ジャズ」を確立した二人はそれ以降、ステファンはイギリスで、ジャンゴはパリで、それぞれの音楽活動をして行くこととなります。フランスでジャンゴが若くして亡くなった以降もジャズ・バイオリニストのレジェンドとして人気を博し、再びパリに居を移して86歳で亡くなるまで、世界中で演奏活動を続けました。

マヌーシュ・ジャズとヴァイオリンの関わり

ジャンゴとステファンが結成した「フランス・ホット・クラブ五重奏団」がヨーロッパ中で大ヒットした結果、人々の間で、マヌーシュ・ジャズにはヴァイオリンが定番のスタイルになりました。それ以前にもジャズでヴァイオリンが演奏される事はありましたが、ステファンのヴァイオリンのスタイルはそれまでのジャズ・ヴァイオリンのものとは違っていました。従来の骨太に演奏するスタイルと異なり、ステファンはヨーロッパならではの花びらの様な繊細な音色、クラシック音楽で用いられる様なハーモニクスや装飾音を多用し、軽やかな演奏をしました。

ジャンゴがロマ出身であったため、ロマスタイル、つまり、ドラムやピアノなどの大型で大きな音が出る楽器は使わず、ギター主体のアコースティック楽器でスウィング・ジャズを演奏する「マヌーシュ・ジャズ」のスタイルを確立したことが、ステファンの様なヴァイオリン本来の軽やかな音色を引き立たせることに成功したと言えるでしょう。また、ロマ節炸裂のジャンゴの演奏には、ヴァイオリンの切ない音色がしっくり来たのでしょう。時には軽やかに、時にはむせび泣く様なヴァイオリンの音色が、よりエキゾチックな印象を与えるため、マヌーシュ・ジャズとヴァイオリンは切っても切れないものとなっています。

現在のマヌーシュJazz

マヌーシュジャズは現在ではミュゼットと並び、すっかりパリを代表する音楽になっています。パリの街を歩けば、多くのカフェからマヌーシュ・ジャズが聞こえて来ます。パリでは毎日の様にマヌーシュ・ジャズのライブが開催され、また、多くのマヌーシュ・ジャズのフェスティバルも開催されています。
現在もジャンゴとステファンを慕う多くの若手ミュージシャンが、パリはもちろん、世界中でマヌーシュ・ジャズを継承し、演奏を続けています。日本にもそのファンは多く、日本でもジャンゴをオマージュしたフェスティバルなども開催されています。

マヌーシュジャズ おすすめの演奏

フランス・ホット・クラブ五重奏団

フランス・ホット・クラブ五重奏団(Quintette du Hot Club de France)は1934年にジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリによって結成された楽団で、マヌーシュジャズをフランス国内のみならずヨーロッパ各地に広げました。ジャズの歴史的にももっともユニークで重要なバンドです。
下の映像は動くジャンゴ・ラインハルトを観られる貴重な映像です。

チャボロ・シュミット

ロマにルーツを持つギタリストのチャボロ・シュミット(Tchavolo Schmitt)はその音楽性や超絶技巧でジャンゴ・ラインハルトの後継者と言われています。2002年に公開された映画『僕のスウィング』ではロマのギタリストとして主役を務め、マヌーシュジャズを世界に広く認知させました。
下の動画はロマの歴史や生活を描いた1993年の映画『Latcho Drom』からのもの。

シュトケロ・ローゼンバーグ

シュトケロ・ローゼンバーグ(Stochelo Rosenberg)は1968年にオランダ南部のロマ一家に生まれた現代最高峰のマヌーシュジャズのギタリストです。子供時代から天才ギタリストとして名を馳せ、1980年代後半にアルバムデビューして以降マヌーシュジャズの第一線で活躍し、ステファン・グラッペリとも共演しています。

マヌーシュジャズ おすすめの映画

マヌーシュジャズを扱った、オススメの映画をご紹介致します。

『僕のスウィング』

祖母の家でひと夏を過ごすことになった10歳の少年。街で見たジプシースウィングの音色に心を奪われ、同じギターを手に入れるためにロマの居住する地区に出向く。そこで出会ったロマの少女との淡い恋、そして前述のチャボロ・シュミット扮するロマのギタリストとの交流を通して少年の成長を描いた、物語も音楽も素晴らしい名作です。

https://eiga.com/movie/51821/

『ギター弾きの恋』

スウィングジャズ全盛期の1930年代、アメリカ・シカゴ。自身を“世界で二番目のギタリスト”(一番はもちろんジャンゴ・ラインハルト!)と称する自堕落な架空のギタリストを描いたウディ・アレン監督による心に沁みるラブストーリー。

https://eiga.com/movie/1510/

『永遠のジャンゴ』

ジャンゴ・ラインハルトの物語を描いた伝記映画。ナチス・ドイツ占領下のフランスで、ジャンゴはその絶大な人気をナチスのプロパガンダに利用されそうになり…。
理不尽な迫害に苦しむロマの現実と、ジャンゴの知られざる葛藤を描いた傑作です。

https://eiga.com/movie/87610/

最後に

いかがだったでしょうか。今なお色褪せることなく、世界中に根強いファンを持つマヌーシュ・ジャズ。小気味よいジャズのリズムの中に、ロマ特有のシンプルに生きていく力強さを感じさせます。

今回ご紹介したのはほんの一部。まだまだ多くのミュージシャンが名演を繰り広げています。知れば知る程、沼にハマって行きます。マヌーシュ・ジャズを楽しむ御参考にしていただければ幸いです!

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MUSIC LESSON LAB
投稿者
武蔵野音楽大学卒業。武蔵野音楽大学在学中、ステファン・グラッペリの音楽と出会いマヌーシュ・スウィングに傾倒。作曲、アレンジも手がけ、オーケストラや室内楽での活動のほか、ポップスからジャズまで幅広い分野で活躍。2013年に、フランスを代表するジャズ・ヴァイオリニスト、フローリン・ニクレスクをプロデューサー迎えてアルバム「Swimg from Paris」をパリでレコーディング、リリース。2015年〜2017渡仏。Didier Lockwood氏に師事。